ピンクリボンブレストケアクリニック表参道−PINKRIBBON BREASTCARE CLINIC OMOTESANDO

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優しくブレストケア 〜島田 菜穂子のメッセージ〜

JAPAN SOCIETY OF BREAST HEALTH

院長紹介

ご挨拶

島田 菜穂子 Naoko Shimada島田 菜穂子 Naoko Shimada
乳腺科・放射線科

日本人女性の約20人に1人。今、乳がんになる方は増え続けています。ただし、乳がんは闘える病です。診断技術や、医療の進歩により乳がんは非常に早期に発見できるようになりました。また治療方法など医療の進歩もあり、乳がんは治癒する確立が非常に高い病気なのです。

乳がんは、自分で発見できる唯一のがん。ただし、そのためには定期的な検診受診の継続と、自己検診そして、自分を大切に思う気持ちが大切です。ほんのわずかな“おかしい?”を見逃さないように、自分に関心を持っていたわってください。それが乳がんを克服する第一歩です。

当クリニックは、ご心配な症状がある方から、念のための検診をという方、検診で精密検査が必要といわれた方、診察・検診そして乳がんに関するご相談セカンドオピニオンをおうかがいします。問診・検査・診療までクリニック内専用エリアで女性スタッフが対応いたします。

*撮影を行う診療放射線技師・診療担当医はマンモグラフィ検診精度管理中央委員会の認定試験の合格判定を得ています。マンモグラフィ(フルデジタル)や超音波検査、MRIを駆使して高度な診断を行います。さらにコアニードル生検・マンモトーム生検などの精密検査も可能です。

学歴・職歴

1982年3月 静岡県立沼津東高校卒業
1982年 筑波大学医学専門学群入学
1988年3月 同大学卒業
1988年4月
〜1991年4月
筑波大学付属病院放射線科レジデント医員(研修医)
筑波記念病院およびつくばメディカルセンター放射線科勤務
1991年5月
〜1998年5月
東京逓信病院 放射線科勤務
1992年 放射線科乳腺外来を開設
(1993年〜1994年在フランス)
1998年5月
〜1999年7月
日本放射線科専門医会海外留学フェローシップに選考され、
米国ワシントン大学メディカルセンターブレストヘルスセンター留学
インヴァイテッド フェロー(Washington University Medical Center, Mallinckrodt Institute of Radiology, Breast Health Center、invited fellow)
1999年8月〜 東京逓信病院 放射線科勤務
2000年6月 乳癌啓発団体 乳房健康研究会発足 同副理事長
ピンクリボン運動、イベント出版活動展開 、調査研究を通じて乳がん検診の環境整備のためのロビーイングを開始。
乳がん啓発団体として日本初のNPO認証を受ける。
2001年3月 日本発の啓発型スポーツイベント
乳がん啓発ランニングウオーキングイベント
“ミニウオークアンドランフォー ブレストケア”を企画開催(東京 昭和記念公園)
以降全国で、テニス、ゴルフ、スノーボード、スキーイベント等展開
2001年4月 同院 放射線科医長就任
2005年6月 医療法人ブレストピアへ移動、南青山ブレストピアクリニック副院長をへて
翌年10月 同法人丸の内・女性のための統合ヘルスクリニック/イーク丸の内・副院長
2006年11月 東京ミッドタウンメディカルセンター
東京ミッドタウンクリニック 乳腺科  シニアディレクター就任
2008年1月 ピンクリボンブレストケアクリニック表参道開設(3月1月開院)
  現在に至る。

認定医資格

日本医学放射線学会認定放射線科専門医
日本乳癌学会認定医
日本乳癌検診学会マンモグラフィ読影指導資格(A判定)
日本医師会認定産業医
日本医師会認定健康スポーツ医
日本がん検診診断学会認定医
日本体育協会 認定スポーツドクター

役職

日本乳癌検診学会(評議員)日本乳腺甲状腺超音波診断会議(幹事)
日本乳癌画像研究会(世話人)日本放射線科専門医会乳房画像診断勉強会(世話人)
NPO法人乳房健康研究会(副理事長)東京都成人病協議会乳癌部会(乳がん専門委員)
東京都健康推進プラン21評価改定委員会 がん検討会委員
厚生労働省「乳がん検診の精度及び効率の向上に関する研究」(大内班)研究員
健康保険組合連合会 コンサルタント

所属団体

日本医学放射線学会、日本放射線科専門医会 日本乳癌学会、日本超音波医学会
日本がん検診学会会員 性差医療医学研究会会員
※上記役職重複は削除

著書・執筆

・ 今日の救急医療指針(1995年医学書院 共著)
・ 20歳を過ぎたらブレストケア(2001年日本医療企画 共著)
・ 乳がん全書(2003年法研 共著)
・ 更年期ひとりで悩まないで!(2003年 古川書房 共著)
・ すべての女性にブレストケア(2004年年日本医療企画 共著)
・ やさしくブレストケア(2004年共同通信全国紙連載)
・ 乳がん検診は今(2005年NPO乳房健康研究会)
・ 乳がんの治療法とQOL(2005年 イカロス出版 共著)
・ 女性のいい病院(2006年 主婦と生活社  共著)
・ 乳がんの早期発見と治療(2007年 小学館 共著)
・ ブレストケアノート(初版2002年 第2版2008年1月 日本家族計画協会)

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院長からのメッセージ

やさしくブレストケア〜ピンクリボンに願いをこめて〜

最新鋭の機器を駆使して、診断や治療を他の診療科の先生にスマートに伝える・・・そんな颯爽とした放射線科診断医の姿を、学生実習のときに目の当たりにし、憧れ夢見て、おなじ道をと進んだのが、私が放射線科という診療科を選んだ理由でした。
医師として第一歩を踏みだしてみると、現実は夢に程遠く、人のためになるとか、治療に役立つ情報を画像から読み取って他の先生方に提供できるようになるまでには山のような勉強と経験が必要なことを思い知らされました。前に進むために山盛りのフィルムと医学書に埋もれながらカンファランスに画像診断にと追い立てられるように、毎日を過ごしていたころは、乳腺診療にこれほど心を注ぐようになるとは夢にも思いませんでした。

きっかけは突然訪れました。大学病院で医師としてまだひよこ歩きをしていた頃、ある日の薄暗い超音波検査室の中でした。数日後の手術を控えた乳がん患者の彼女は、主治医の先生には遠慮してそして怖くて、なかなか相談できなかったいろいろな心配事を、頼り無かったであろう私にぽつりぽつり話し始めてくれたのです。
持てる知識を振り絞って、真剣に彼女に向き合ってお話が終わったあと、彼女は私に宝物のような言葉をプレゼントしてくれました。
“先生に逢えて本当に良かった。さっきまで乳がんになったことを恨んでいたけど、なんだかうまく乗り越えられそうな気がするから。ありがとうございます”こんな素敵な言葉に支えられて、私の情熱は大きく膨らみました。

その後大学病院での研修を終え、1992年、東京逓信病院で私が乳腺外来を開設した当時は、乳腺外来も、さらにはそれを放射線科医が行うことも国内ではあまり例が無く、すべてが手探りのスタート。
幸い診療科を超えて、同僚・上司の理解と協力に恵まれ、又受診者にもお互いに参加しあう診療というスタンスを理解していただき、年を経るごとに、本業の画像診断業務よりかなりのエネルギーを乳腺診療へ注ぐようになりました。

そんなとき、かねてからの夢であった乳がん先進国米国での研修留学のチャンスをつかみました。ピンクリボン活動をはじめとする、乳がん啓発活動に対して私が強い思いを持つようになったのはこの米国留学がきっかけになったのです。

乳がん先進国での診療を経験したい、新しい画像診断の何かをつかみたい一心で胸を膨らませて渡米。渡米後、ブレストセンターで1ヶ月も過ごすと、私は予想外の事態に気がつきました。日米の大きな違いに愕然。この違いは医療レベルでもなく、画像診断の新しさでもなく、他でもない一般女性たちの乳がんに対する関心と知識の高さでした。
しかし、米国女性が日本人女性に比べ、教育レベルが高いわけでもなく、勤勉なわけでもありません。私が拠点を置いたセントルイスはアメリカ中西部ののんびりした街で、いまだにお尻の大きさが日本人女性の2-3倍はあるような体型の女性が多い、どちらかというとヘルシー志向が薄い古典的なアメリカの街。なのにブレストセンターに来る女性は、乳がんがどれだけ自分たちに身近な病気であり、でもその珍しくない厄介な病気は、早く発見さえすれば命も乳房もとられること無く治すことができること、早く発見するにはマンモグラフィという検査を毎年受けることが非常に大事だということを皆知っていたのです。

今でも忘れもしない、あれは、東京でいかにも知的で上質な暮らしをされているであろうと見える素敵なご婦人が、私に外来に見えたときでした。
慎み深く着衣をはずすと、目に飛び込んできたのは青黒く腫れ上がり、今にもはちきれそうな乳房のできもの。幾度と無くこんな思いをしたことか。世界の経済をも動かそうという大都市東京のど真ん中の病院で、です。検診を毎年丁寧に受けていて発見された極小の乳がんに出会えることは、東京の病院では決して頻繁ではありませんでした。しかし、アメリカの田舎町では違っていたのです。マンモグラフィでしか発見できないような早期がんで治療を受けに来る女性がたくさん居たのです。日本人女性は決して怠け者でも無知でもありません。なのに、このアンフェアは一体何なんだと叫びたい気持ちでした。
米国の病院内をくまなく探しても何の答えも見つかりません。そのヒントは病院の外にあったのです。町中の建物や看板、ジュースのパックにも、シャンプーのボトルにもピンクリボン。テレビやラジオではメッセージが流れていました。“Mammogram saves your life.”誰もが知らず知らず、いつでもどこでも乳がんに関する情報を得られる工夫がされていたのです。私が病院の中でいくらがんばって、目の前にいる患者様と真剣に向き合っても、それだけでは日本は変わりません。
日本人の女性に、そして男性にも知ってもらいたいことが山ほどある、病院に来てくれる人をただ待っているだけでは、大切な情報は伝わらない、こんな溢れる思いを胸に秘めて、ピンクリボン活動のための団体を結成しようと奔走を始めたのは日本に帰国した直後でした。
そして帰国翌年、ちょうど2000年日本のマンモグラフィ元年、同志が集まり乳房健康研究会を発足、ピンクリボン活動を始動しました。

ピンクリボンって何?というお話から始めなければいけなかった当時は、何もかもが容易ではありませんでしたが、あのときの小さな一歩一歩が今や少しづつ全国に広がり、多くの皆様の願いと思いで、素晴らしい活動に育ち花が開きつつあります。乳がんで亡くなる人がゼロになるその日まで、花は何度も種をつけて、新しい芽を出して、また花が咲き続けるように。その願いの花は、私たち一人ひとりでもあります。

私のできることは小さなことですが、真心をこめて続けてゆきます。
診療や活動を通じて、乳がんによる悲しみのない世界を目指して。
女性がより健やかに、美しく輝けますように。
ピンクリボンに願いをこめて。

NPO法人 乳房健康研究会 副理事長
ピンクリボン ブレストケアクリニック表参道 院長
島田 菜穂子

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活動

乳房健康研究会(ピンクリボンバッジ運動)

2000年、日本に激増する乳がんの現実を目のあたりにし、乳がんについてもっと知ってもらおうと乳がん専門医4人で乳房健康研究会を発足しました。

乳房健康研究会は、2000年春、乳がんによる死亡率低下を願う4人の医師(霞富士雄、福田護、野末悦子、島田菜穂子)によって発足した日本初の乳がん啓発団体です。

乳がん死亡率低下の大切なポイントは、早期発見、早期治療です。乳房健康研究会では、乳がん早期発見のための環境づくりを推進してきました。

ピンクリボンバッジ運動はじめ、出版・調査活動、セミナーやウォーキング・ランイベントの開催などの啓発活動を通し、乳がんに関する正しい情報の発信と、死亡率低下に貢献するための活動を展開しています。

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乳がん検診 私はどこに行ったらいいの?